土の感触やにおいを感じながら、向き合う時間が大切
南阿蘇村の北西、長野と呼ばれる集落。長閑な田園風景を見晴るかす小高い場所に、北里かおりさんの小さなアトリエはある。ひと目で大切にされていることがわかる、古い棚や机。そこに並んだ作品たちは、なんだか居心地良さそうに見えた。耳を澄ませば、彼らの密やかなおしゃべりが聞こえてくるんじゃないか。そんな楽しい想像がふわふわと浮かぶ。
ここには元々、かおりさんの実家があった。進学等で一度は離れた村に帰って窯を開いたのは、20代の終わり。「窯を据えるということは、そこに根づくということ」。そう考えたときに、自らの中に息づく祖父との思い出がよみがえってきたと話す。「一緒にしめ縄を編んだり、俵や蓑を作って飾りものにしたり。小さな集落で阿蘇の自然に触れて過ごした時間が私の根っこ」。
開窯してからは、修学旅行生の受け入れやイベント開催、陶芸体験など、住まいとしてだけでなく拠点としての役割を果たしてきた。熊本地震を経て結果的に住まいは移さざるを得なかったが、土地との縁をつなぎたいとアトリエのみを再建し、今に至る。
土を前に、かおりさんは「あなたはどんな形になりたい?」と語りかける。ひんやりとした塊に、熱を分け与えるように触れながら。最近は、作品の世界観を写真(平面)で表現することにも挑戦中だ。「ひとりの表現者として土と向き合いたい。この土地の、息吹を感じながら」。陶芸家でも造形家でもなく、陶造形家を名乗る。それが、かおりさんなりの向き合い方。自らをのびのびと表現するものづくりには、「作る」や「生み出す」より「生まれる」という言葉がしっくりくる。
こうして長年、土に触れてきたかおりさん。だからだろうか、自らの拠って立つ地域への眼差しも温かい。Uターン後から20年以上、地域活動に携わり、震災後は集落支援員として地域住民に寄り添う日々。ものづくりの時間は減ってしまったけれど、「地域により深く関われたし、教わることもたくさんあった」と、振り返る。
ものづくりと地域。それは車の両輪のようなもの。その時々で果たす役割を変えつつ、いずれが欠けても、かおりさんの表現は成立しない。「最終的には両者が融合していくのでしょうね」。そのとき、どんな表現が、かおりさんのてのひらから生まれるだろうか。