農業研修生
2024.10.21
御木 徳大さん
御木 徳大(とくひろ)さん
南阿蘇村地域おこし協力隊「新規就農プロジェクト」の隊員として2023年4月着任。翌年5月に農業研修生受入協議会へ転向。有機農業の少量多品目栽培農家を目指して研修中。実は、イラストレーターとしても活躍する。
Instagram:@tokuhiromiki
Instagram:@tokuhiro_drawings
※取材日(2024年8月)時点の内容です
※南阿蘇村の就農支援については、こちらを参照ください。
農家になる道はひとつじゃない
南阿蘇村で就農を目指す方法は大きく2つ。ひとつは、農業研修生受入協議会へ加入すること。もうひとつは、地域おこし協力隊新規就農プロジェクトメンバーの一員になること。細かい差異はあれど、各種助成金や研修制度など基本的には同程度のサポートを受けることができる。どちらかといえば施設栽培(ハウスでのトマトやアスパラなどの栽培)に力を入れているのが前者であり、露地栽培に力を入れているのが後者。
御木徳大さんは、結果的に2つの道をミックスして活用した。地域おこし協力隊新規就農プロジェクトメンバーとして1年を過ごした後、2024年5月に農業研修生受入協議会へ転向。現在は尊敬する師匠、椛嶌農園の椛嶌剛士さんの下で少量多品目栽培のノウハウを学びながら、就農を目指している。
大阪から熊本県南阿蘇村へ、家族で移住
御木さんのなかに農業という選択肢の芽が育ち始めたのは、結婚して子どもを授かったころ。家族で小さな農園を持てたら楽しいだろうな…という漠然とした憧れは、「つながりを大事にして生きていきたい」という価値観と結びつき、農家を目指すまでになる。
とはいえ、まったく畑違いの分野へ飛び込むリスクを無視するわけにはいかない。初期投資の大きい農業、家族がいればなおさら、考えるべき要素は多いだろう。「覚悟を決めても、やっぱり怖かった」のは、当然のことだ。
御木さんの背中を押したのは、地域おこし協力隊の制度。給与を受け取りながら学べることはもちろん、隊員として地域課題に携わることができるという点も、御木さんにぴったりはまった。
前職の転勤で熊本市に住んだ経験があり、阿蘇にはよく遊びに来ていたのだとか。「山並みがすごくきれいで」。地元関西では高野山信仰が盛んなこともあり、「祈り」という視点からも阿蘇の山々へ親近感を抱いたという。
長女の澪(しずく)ちゃんは熊本市で生まれた。その子が妻・秋(あき)さんのお腹にいるころから、就農について具体的に考えるようになっていく。ここでちょっと気になるのが、秋さんの気持ち。熊本県で農家になりたいと言い出した夫を前に、どう感じたのだろう?
「まさか熊本に住むとは思ってもみなかったです(笑)でも、知らない道へ飛び込んでいくことは貴重な経験だよなって。やりたいことがあるって、いいですよね」。そうして、本格的な移住計画が始動したというわけだ。
大きなお腹の秋さんを伴って、南阿蘇村をはじめ阿蘇地域の気になる農家を訪ね歩いたという御木さん。南阿蘇村で少量多品目栽培を手がける椛嶌農園の椛嶌さんとの出会いも、そのころのことだった。
「移住したいっていう僕らの話を、正面から受け止めてくれたのが椛嶌さんでした。初心者だから、農業法人に就職する道もあるよとか。有機農業を目指すなら、隣町の山都町が盛んだよとか。リスクも含めて真摯に話してくれた。信頼できる人だと思いました」。
さんざん悩んだものの、最終的には南阿蘇村への移住を決断した御木さん。地域おこし協力隊「新規就農プロジェクト」の一員として、村での生活をスタートさせる。
子育てには最高!
充実した南阿蘇村暮らし
さて、農業という新しい道を模索し始めた御木さん。同時に、家族4人での南阿蘇村暮らしも始まった。
現在、長男元紀(げんき)くんは4歳。長女の澪ちゃんは、そろそろ2歳。「この自然環境は、子育てするには最高!」と、御木さん。いつでも阿蘇五岳や外輪山を眺めることができるし、タイミングよく賃貸できた一軒家の庭では家庭菜園を楽しむ。「長男はトマトが嫌いだったんですけど、家庭菜園を始めてからは大好きになりました。長女の離乳食は野菜でしたよ」。
ちなみに元紀君は大の列車好き。自宅は南阿蘇鉄道の沿線にあるので、大好きな列車を毎日見放題という、なんともぜいたくな環境だ。「先日、南鉄の列車が引退したときなんか、最後の運行を見ながら号泣してました(笑)」。
1.おじいちゃんと庭の畑を散策する澪ちゃん。
2.列車が大好きな元紀君。
野焼きに参加したことをきっかけに、行政区内での人づきあいも少しずつ、深まってきた。「ご近所さんが、僕ら家族のことを気にかけてくださって、とってもありがたいです」。農作業に使う軽トラックを探していたときも、あれこれと相談に乗ってくれたとか。
その一方で、小児科や子育て関係のサービスに関しては、ちょっぴり不安。「とくに病院は一番心配ですね。知人におすすめしてもらった小児科も、先生がご高齢で閉院するとか…」。近隣の町や熊本市内まで通院することも少なくないそうだ。
日々の買い物も少々不便。わりと近所にあったスーパーが閉店してしまったこともあって、現在はもっぱら隣町へ買い出しに行く。
病院にしろ、買い物にしろ、何をするにも車は必須だ。「いまは問題ないけれど、年を重ねた先のこともいずれは考えないといけないですね」。
2024年4月には、大阪から御木さんの両親も移住してきた。もともと移住の話はあったらしいが、現在賃貸している家のすぐ近くの一軒家に偶然空きが出たということで、とんとん拍子にコトが進んだらしい。互いの家を行き来することも増え、さらに賑やかな暮らしになった。
人と人をつなぐ「農」の担い手に
御木さんは2024年4月で地域おこし協力隊を退任。現在は、受入協議会に加入して、椛島農園での研修や、農業にまつわる勉強会への参加、新聞配達の仕事とめまぐるしい日々を過ごしている。
「地域おこし協力隊として過ごした1年は、すごく大切な時間でした」と、笑顔で振り返る御木さん。「隊員として、南阿蘇村農業みらい公社(以下、公社)で露地作物の栽培を中心に学びました。栽培だけでなく、経理や営業など、やるべきことはたくさんあって、まさに『百姓』ですね。いろいろ考えましたが、自分はやっぱり少量多品目栽培の道に進みたいと思ったんです。担当職員の方に相談して、少量多品目栽培のノウハウを専門的に学ぶために受入協議会への転向を決めました。地域おこし協力隊としては1年しか活動していませんが、その期間に自分の方向性がより明確になりましたし、師匠を定めることもできた。走り出すための準備をさせてもらえたと思っています」。
移住前に知り合った椛嶌さんとは、地域おこし協力隊員として関係性を深め、受入協議会に入ってからも師弟として多くの時間をともに過ごすようになった。将来的には師匠と同様に少量多品目栽培で生計を立てたい考え。「まずは就農して、農家としての基盤をしっかり固めるのが目標。季節のお野菜セットの販売とかをしてみたいです」と話す。将来的には、たくさんの人が農に触れられる体験農園のような場所をつくりたい、とも。
「農業は、人と人とが一歩踏み込んだつながりを育める仕事だと思うから」。
農に触れることをきっかけに、人と人とが優しいエネルギーでつながっていけたなら、こんなに素敵なことはない。そんなきっかけを提供できる農家として御木さんが立つ日を、楽しみに応援したい。
椛嶌農園にて研修する御木さん。「多品目栽培は、たくさんの野菜のことを常に考え続けるのが仕事なんだなと、椛嶌さんに学ばせていただいています」。
1.椛島農園で育てている、カボチャ。
2.椛島農園で育てているサツマイモ。
3.トラクターの掘り取り機でじゃがいも収穫。
4.里芋の定植作業の様子
5.道具のメンテナンスも大事な仕事。トラクターのアタッチメント交換についてのレクチャーを受ける。
6.椛島農園ではニワトリも平飼いしている。捌いてみんなでいただいた。
1.「肥料づくりにハマっちゃって(笑)」。林業関係の人と知り合い、肥料の原料にするためのおがくずを提供してもらえることに。
2.自宅の庭先で肥料づくりをしては、植物の生育具合を確認する。御木さんはとても研究熱心だ。
左/イラストレーターとしても活動している御木さん。阿蘇デザインセンターのポスターに、阿蘇神社(阿蘇市)の楼門を描いた。ふわっと優しいタッチは、御木さんの人柄を思わせる。