調香師/アロマスタイリスト
2024.10.22
菊池 友来さん・泰央くん
菊池 友来(ゆき)さん
友来(ゆき)さんは熊本県宇土市出身。末っ子の泰央(たお)くんと2人で、神奈川県から南阿蘇村へ移住した。熊本暮らしは実に20年ぶり。家族のありかた、仕事、暮らしかたなど、多様化する生きかたを体現している。
Instagram:@ rit.aromaworks
※取材日(2024年7月)時点の内容です。
※村の子育て支援についてはこちらを参照ください。
ほんとうに暮らしたい場所はどこ?
菊池友来さんと泰央くんが神奈川県から熊本県南阿蘇村へ移住したのは2024年4月。泰央くんが小学校に上がるタイミングでのことだ。東京での仕事がメインの夫と上2人の娘(大学生と高校生)を残し、親子2人での移住。背中を押してくれたのは、夫のひと言だったという。
「子育ては自然のあるところでしたいなという気持ちがあって、家族で移住する先を関東周辺で検討していたんですが…」。どこも素敵なのだけれど、なかなかしっくりこない。迷っていたときに、夫が言った。
「泰央と2人で暮らすのもアリじゃない? ほんとうに行きたいのはどこ?」
友来さんはとっさに答えていた。「南阿蘇村に行きたい」。
熊本県宇土市で生まれ育った友来さん。「小さいころから、家族で出かける先といえば阿蘇でした。俵山トンネルを抜けたとたんにパッと広がる里山の景色は、熊本を離れてからもずっと心に残っていたんです」。熊本地震を経て南阿蘇鉄道(通称、南鉄)が一部運行を開始したタイミングで、宇土市の父が泰央くんをトロッコ列車に乗せたいと誘ってくれた。「私も初めて乗りました。ゆっくりゆっくり流れていく景色に、すごく感動しちゃって」。
移住という選択を前に「自分が本当に暮らしたい場所」と考えたとき、まっさきに心が向かった先が南阿蘇村だった。
上/南鉄が運行するトロッコ列車。通常列車もある。2023年7月、南鉄は全線で運転を再開した。
移住体験ツアーで
出会った人たちの、あたたかさ
さっそく南阿蘇村の情報収集を開始。すると、村の地域おこし協力隊(定住促進課)が企画する移住体験ツアーがあるというではないか。しかも、テーマは「子育て/小学校見学」。友来さん親子にぴったりときた。すぐさま申し込み、南阿蘇村へ。
「ぜいたくなツアーでした。触れあった人たちのあったかさに、移住するなら南阿蘇村だって、確信に変わったんです」。
お試し移住住宅を借り、3泊の南阿蘇村滞在。そのうちの1日をツアー参加に充てた。保育園では園児といっしょに遊び、授業中の小学校のクラスを校長先生の案内で見学。熊本地震震災ミュージアムKIOKUのガイドスタッフによる、日常生活でできる災害対策ワークショップ。先輩移住者(全員、子育てを経験しているお母さん)との交流会に、習い事の見学で締めくくり。朝から夜までのツアーで少々慌ただしかったものの、友来さんの得たものは大きかったようだ。
「交流会で、移住者のお母さんたちが、『とにかく来ちゃいなよ。それから考えればいいよ』と言ってくれたことが、すごく心強かったです」。
1.保育園にて園児と交流。
2.保育園の見学の後は小学校へ。校長先生よりお話を伺う。
3.このツアーのため、特別に給食も用意していただいた。この日の献立は、村で作られたお米とあか牛(阿蘇地域のブランド牛)を使ったおかず。
1.熊本地震震災ミュージアムKIOKUでガイドを務める市村孝広さんに、新聞紙スリッパの作り方を教わる。
2.先輩移住者との交流は、笑いの絶えない楽しい時間。
3.LOOPみなみあその図書室でひと休み。LOOPの2階には、子育て支援センターがある。
家探しと怒涛の引っ越し。
やさしい地域の人々
ツアーの開催は2023年11月。翌年に控えた泰央くんの小学校入学に間に合わせるには、とにかく時間がない。友来さんは慌ただしく移住の準備を始めた。在宅で仕事ができる友来さんにとって、最大の難関は家探し。「物件が全然なかったです(笑)」。気になる物件があっても、気軽には内見にも行けず、やきもき。
2月になって、空き家バンクで「これぞ」という物件に出合えたのは、偶然とご縁による幸運だったわけだけれど、きっと友来さんと泰央くんだからこそ引き寄せることができた運だ。もともとは売買物件だったが、所有者とのマッチング(相談)を経て、まずは賃貸で一軒家を借りる手はずが整う。
泰央くんは小学校に入学。村の子育て支援施策のひとつ、「ランドセルの無料プレゼント」も受け取ることができた。
新しい生活をスタートさせるにあたり、集落の人たちには「できるだけ全員」あいさつに回った。「若い人が来てくれてうれしい、と言ってもらえて、うれしかった。近所の方が野菜を届けてくれることもあって…。いまは生活に慣れるので精いっぱいだけど、いつか恩返ししたいです」。
泰央くんが通い始めた小学校で、保護者とのご縁もできた。そのなかには南阿蘇村のブランド米「オアシス米」の生産者もいて、米はその方から購入しているとか。合鴨を田んぼに放す農法で米を育てている様子の見学もさせてもらったと、楽しそうに話す。「すっごくおいしいお米。泰央も、モリモリ食べてます。お米の背景(作り手の思いなど)を知ることができるからこそ、いっそうおいしい」。
水は白川水源に毎週汲みに行って、料理などに使う。「だからかな。身体もお肌も調子がよくって。…そう、いきものの『本質』にかえったような感覚」。豊かな水の恵みを実感する毎日だ。
2拠点での暮らしと仕事
友来さんはアロマスタイリスト。15年ほど前に植物療法という考え方に出会い、その世界を深めていった。自然が本来持っている力を人間の暮らしに分けていただく、植物療法。その最たるものが香り。仕事の中心は、企業向けのオリジナル精油商品の開発や監修、個人向けの植物療法レッスンとなる。
賃貸した一軒家は広い庭付きで、さまざまな植物がある(自生しているもの含めて)。手入れは大変だが、アロマスタイリストの視点では「宝の山!」らしい。いずれは、南郷檜(なんごうひ/ご神木のDNAで挿し木される希少な檜)や、地域で未活用のままの植物を使った商品開発をしてみたいと構想を膨らませている。
現在は在宅で仕事をし、月に一度ほど泰央くんを連れて関東圏へ仕事に赴く生活だ。その際、家族の元へ「帰って」、ひと時を過ごす。夫が南阿蘇村に「帰る」頻度も、おおよそ月に一度。
1.友来さんの仕事道具。精油づくりは理科の実験みたい。
2.友来さんが開発を手がけた精油「inori(祈り)」シリーズ。
1~3.蒸留器はガラス製(2)と銅製(3)があり、「香りが繊細なものは銅の蒸留器が向いています」とのこと。
さて、南阿蘇村で暮らすようになって、一番顕著な変化を見せたのは泰央くんかもしれない。移住前は、都会のビルの一室にある保育園に通っていたという泰央くん。自然のものや古いものがきらいなわけではないけれど、積極的に触れようとはしないタイプ。泥遊びで汚れるのも苦手だった。
ところが、南阿蘇村に移住したとたんだ。「初めて学童に行った日に、袋いっぱいにバッタを捕まえて帰ってきました(笑)」。なんと、無類の虫好きに変身した。取材に訪れたときも、はにかみながら「山で捕まえたクワガタを8匹飼ってる」と、うれしそうに手に持って見せてくれたほどだ。
虫が苦手な人にはちょっとツライ光景かもしれないが、友来さんは泰央くんの「好き」を、見守るスタンス。「袋詰めのバッタは、あんまり見ないようにしましたけど(笑)」。それくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。
ちなみに、泰央くんの変わりようをとびきり喜んだのは、アウトドア大好きの夫、陽之介さんも同じ。「泰央のほうから外に遊びに行こうと誘うものだから、大喜びで一緒に出かけていきます」。神奈川県ではボート。南阿蘇村では虫捕り。それぞれの地域で、自然と遊ぶ時間を満喫している。
その様子に、最初は心配していた宇土市の両親や神奈川県の義理の母も、安心してくれているそうだ。
上/泰央くんが、近所で捕まえたクワガタムシを紹介してくれた。
上/近所の田んぼにて。カエルを捕まえるのにハマっている泰央くん。素敵な笑顔。
これからの未来のハナシ。
「正解」は決めなくていい
住み慣れた場所から、家族と離れて南阿蘇村へ。友来さんにとっても、泰央くんにとっても、とんでもなくめまぐるしい変化だったことは間違いない。
移住から数ヵ月が経ち、引っ越しやらなにやらがようやく落ち着いて、ちょっと冷静になったいま。ふと、寂しさに襲われることがあると打ち明けてくれた友来さん。「あんまり地域の人や移住者の人と、コミュニケーションを取る機会がないな…」。病院(小児科)の選択肢が少ないのも不安のタネ。こうした「移住後のサポート」は、行政にとっても課題のひとつだ。
不安なこともあるし、戸惑うこともある。けれど、家族で異なる拠点を持ったことで「これからの話をよくするようになった」のは、前向きな変化のひとつと、友来さんはとらえている。
「夫と、『将来はどこに住んでるかな』って、よく話すようになったんです。南阿蘇村でお店をやってるかもしれないし、まったく違うどこかにいるかもしれないし…」。
未来のことはわからない。けれど、さまざまな可能性をふまえて未来の話をするのは楽しい。
「南阿蘇村に居続けることが唯一の正解とは思っていません。一生懸命やってもうまくいかないこともあるだろうし、状況が変わることもあるだろうし。そうしたら、また神奈川県に帰ったっていいんだよな~と。そういう心の余裕は、大切ですね。ともかく、子どもと一緒に楽しむ気持ちがあれば、なんとかなりそう」と、友来さんは笑顔で言葉を添える。
移住したら、定住。そう考えがちだけれど、なにが正解ということはない。「何がなんでも南阿蘇村に住む!」と固い決意で移住する人もいるけれど、もっとゆるやかな道があってもいい。二拠点や多拠点という考え方も、いまの時代ではあたりまえになりつつあるし、家族のかたちや仕事のやり方だって多様化しているのだから。
友来さんと泰央くんの、肩ひじ張らない移住スタイルは、こらから移住を考える若い世代の人たちにとって、ひとつの道しるべになるだろう。
1.朝の日課は、愛犬あずきちゃんとの散歩。
2・3.水源や夕陽など、村で触れる自然の美しさを親子で楽しんでいる。